今の高田中学校の南に、忠魂碑と燈明が建っている。これらは、元々は現ミズノテクニクス㈱の敷地内にあった。敷地内には現在も碑が建っていた頃の、こんもりとした跡がみられる。また、昭和21年(1946)頃はこの地に岡本喜十郎の碑も建っていた。
昭和18年(1943)に、これらの石碑があった元の位置(現ミズノテクニクス㈱の敷地内)に田代神社を遷宮する話があったが、戦争が激しくなり取止めになった。代わりに当時飛行機の部品を作っていた、美津濃株式会社の養老工場が来ることになった。さらに美津濃株式会社の西側の空き地には、高田小学校の二階建て校舎が移設され、校舎不足となっていた高田中学校のために利用された。その際に忠魂碑、燈明、岡本喜十郎の碑は、現在の位置である高田中学校の南の空き地に移動された。その後美津野株式会社はミズノテクニクス㈱に変わり、岡本喜十郎の碑は、養老公園に移転された。

Posted in その他, 信仰, 先人, 石碑, 養老, 高田 | Tagged , , , | Leave a comment
岡本喜十郎の碑は、昭和3年(1928)に田中義一氏が発起人となって高田青年団により建碑された。「養老の以志婦美」(8頁)より。養老公園に移動された経緯と時期は不明である。表示位置は高田の忠魂碑、燈明が建っている所を示している。