田代神社は、 慶長 6年(1601)12月26日に、本町字古宮から現在地の田代町257-2に水害を避けて遷座した。それに続いて住民も全体的に水の付かない所に移動してきたと田代神社誌にある。一説によれば住民の移動には、当時の地主階級の働きが大きかったともいわれる。田代神社の由緒、歴史等は「田代神社誌(昭和62年大橋正廣氏編纂)」に詳しい。同誌には神社の古宮跡地の写真があり、その跡地には石碑が建てられたが、現在は残っていない。いつ頃石碑が無くなったのかは不明である。石碑は高田駅南の、近鉄の土地に建っていたので駅舎改築時に処分してしまったのではないかと思う。
現在は田代神社には加茂神社、春日神社、熊野神社、諏訪神社、八幡神社、白髭神社、御鍬神社の七社が本殿に祀られている。境内神社は神明神社、稲荷神社、金刀比羅(ことひら)神社である。
元々は神明神社が祀られていた所に田代神社が移転した。昭和57年に稲荷神社と金刀比羅神社が島田から高田に移されたが、理由は住民が自分たちでお守りをするのが難しくなったためと推測される。稲荷神社は登記を別扱いでしており、鳥居も別に残してある。
慶長元年(1596)に田代神社の別当寺として大善院が創建された。院は途中、寿命院(じゅみょういん)と名を改め(時期は不明)、元禄5年(1692)寿量院(じゅりょういん)と改称された。神仏習合により寿量院に安置されていた薬師如来と天照大神に田代神社の神官が祝詞を奏上し、寿量院主僧がお経をあげていたが、やがて廃仏毀釈により、仏像・経巻・仏具等は不破郡宮代村の大慈寺に納め、薬師如来は即心寺へ移された。
寿量院は275年続いた後、明治初期に廃寺となった。
明治22年(1889)頃、田代神社の社務所を高田町役場に庁舎として貸していた。
明治22年(1889)頃まで島田警察署が田代神社の敷地内にあった。
町の重要文化財である算額について、5問中1問は正確な解答が得られていない。
田代神社には元禄時代(1688‐1703)の絵図がある。
田代神社の年中行事は以下の通りである。
1月1日歳旦祭(さいたんさい)、1月15日左義長、2月11日紀元祭、祈年祭、4月1日稲荷神社と金刀比羅神社の例祭、6月30日大祓(おおはらえ)、8月20日御鍬神社例祭、9月秋分の日の前日試楽(しがく)と田代神社御遷宮記念祭、9月秋分の日例祭、10月1日神明神社例祭、11月15日前後の日曜日七五三祭、11月23日新嘗祭(しんじょうさい)、12月上旬新宮大麻並びに田代大神神符頒布始祭、12月中・下旬の日曜日門松立て奉仕、12月31日大祓。

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表示位置は田代神社を示している。