分類

小畑川両岸の堤防は、向野神社の鎮座する飯積輪中の堤防と、飯田の堤防の高さを比べると、飯積輪中の方が天領である為30cm(一尺)高くなっている。
飯積、金屋、直江の三箇村の悪水を杭瀬川に落水するための小畑川伏越樋管が農業高校(現大垣養老高校、祖父江向野1418
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祖父江、大坪、飯田でそれぞれ弥生時代の遺物が出ている。
このあたりはまた交通の要所でもあった。古代より濃尾平野の玄関口と位置づけられる。
1400年頃には美濃の中道として栄え、1700年頃には美濃三湊が発展した土地でもある。

祖父江の庄屋川瀬彦兵衛は牧田川沿いに堤防を作り、自分の土地と百姓を守るため祖父江の飛地として現大垣養老高校辺りの字向野を確保することに執着した。各輪中の庄屋も同様にここの土地を重視し、取り合いになった。
笠松代官所の文書によると川瀬彦兵衛は幕末の頃に堤防取締
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前田慶次郎が慶長10年(1605)頃、一時期祖父江に住んでいたという伝承がある。関ヶ原合戦後家康の残党狩りを逃れて慶次郎が上杉家に仕えるため関東に行く途中、島左近の娘であるみつとの子、吉兵衛を祖父江の庄屋川瀬彦兵衛に預けた。川瀬彦兵衛は島左近の領地、近江の川瀬
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祐泉寺の開基は大永4年(1524)である。
祐泉寺では、正徳4年(1714)以降の過去帳が保管されている。帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)の脇掛があるが、蓮如上人の字体に似ており、表装されているため裏書が分からないがかなり古いもの
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