小畑川両岸の堤防は、向野神社の鎮座する飯積輪中の堤防と、飯田の堤防の高さを比べると、飯積輪中の方が天領である為30cm(一尺)高くなっている。
飯積、金屋、直江の三箇村の悪水を杭瀬川に落水するための小畑川伏越樋管が農業高校(現大垣養老高校、祖父江向野1418-4)の牛小屋の東側にあった。
小畑川は江月橋付近から牧田川に合流していた。小畑川から牧田川を通って、大野の船大工まで船を取りに行っていた。小畑川に長良川の鵜飼いが来たこともある。鵜飼の冬期の餌飼(えがい)の為である。
小畑川には鮎がたくさんいた。小畑川の水はきれいだったため魚新に魚を持っていくと高く買ってもらえた。
飯田では、小畑川の水により部落内の水路の浄化をはかり、また用水として利用した。昔、小畑川はきれいな青色をしていたが、夏でも水が冷たく心臓まひを起こすため泳いではいけないと言われていた場所もある。
小畑川は川の流れがかなり湾曲して牧田川と合流していたため、改修工事により牧田川と分流させ杭瀬川へ合流させた。

昭和初期、度重なる水害のため飯田の人も牧田川の改修に出たという話は聞いたことがあるが、牧田川の北を流れる小畑川から飯田へ水がついたとか、小畑川を改修しに行ったという話は聞いたことがない。
江戸時代に小畑川堤防を作る時に土を上げたので、小畑川沿いには池がたくさんある。
昭和の初め頃までは、小畑川に船を浮かべて、風流に芸者をあげて川舟で酒を飲んだ。
明治の初め頃までは、桑名から小畑川にある燈明まで船運(しゅううん)があった。
小畑川は、昔は水量も多く鮒だけではなく鮎も上がって来ていた。飯積の村にもハリンコがいた。
小畑川の下流、江月のあたりに長良川から鵜飼船が来ていた。
飯田の村中に用水が流れていて、そこにうなぎがいたそうである。

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表示位置は小畑川と牧田川を分流させ、杭瀬川へ合流させた場所を示している。