祐泉寺の開基は大永4年(1524)である。
祐泉寺では、正徳4年(1714)以降の過去帳が保管されている。帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)の脇掛があるが、蓮如上人の字体に似ており、表装されているため裏書が分からないがかなり古いものではないかと思う。
過去帳にメモ書きのような形でいつの時代かは不明であるが、洪水の記録等が記されていた。13代住職の賢誠(けんじょう)氏は説教の旅の途中に佐竹直太郎氏を郡上から養子として養老町に連れてきた。
佐竹直太郎氏は祐泉寺の有力門徒であり、明治34年(1901)の再建の折には寄附をしている。
祐泉寺の相焼香(あいじょうこう)は京ヶ脇の法音寺(京ヶ脇1422)である。祐泉寺は天台宗から浄土真宗へ改宗したが、年代は不明である。平成3年に現住職(平成22年)に代替わりした。祐泉寺の開基は大永4年(1524)であるが、法名軸をみると家系としては1332年から続いており現在16代目となる。門徒は35~36軒程である。
夏休みの7月中は蛇持の公民館、8月は祐泉寺でお経教室を行う。報恩講は11月第3土・日に行われる。現在、報恩講に子供は参加していない。祐泉寺の行事としては他に、永代経・正月の修正会(しゅしょうえ)・同朋会という勉強会などが行われている。
佐竹直太郎氏は大正時代の衆議院議員を勤めた。
表示位置は祐泉寺を示している。