その他

土地改良事業で瑞穂東の辺りは美田化された。
瑞穂字枠池の西にあるやや低い堤防は伊勢湾台風の頃には既に存在していた。堤防沿いは昔から現在に至るまで宅地になっているが、伊勢湾台風までは堤防の川側にも土盛りをして家を建てていた。
2010年現在の堤防は明治の河川
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瑞穂の西と東は、2010年現在は258号線で分かれているが、昔は大池で分かれていた。今は大池は存在しない。年中行事は東西が一緒に行うものも、別々のものもある。
西瑞穂は昔は14戸だったが、今は30数軒になった。
新しく来た住民には、強制ではないが消防に入っ
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鬼頭家の子孫が医者をしていたが、子どもに恵まれなかったことから、屋敷の維持管理が難しくなった。小出氏の先祖が多額の借金をして購入したが、それでも一度に購入することは難しいため、分筆をしてもらいながら購入した。
小出氏の父親は鬼頭家の墓所にも注目を集めたいと思
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大場のA氏の家は、3~4代前まで魚の卸しをしていた。小作に金を貸した台帳や明治33年の木曽三川分流改修工事の竣工式の寄付を募った文書や魚屋丸七時代の金銭出入金などの資料がある。3~4代前は滋賀県の方へも魚を卸しており、かなり大きな取引をしていたらしい。それによ
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直江の元庄屋である杉野家では明治以降に駕籠の使用を許可された。他にも4軒だけ駕籠の使用許可が下りた家がある。
南直江から五日市あたりまでの牧田川跡地は杉野家の土地であり、戦時中には飛行機の滑走路として使用されていた。杉野家の屋号は大柳(おおやなぎ)で、近所の
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