瑞穂の西と東は、2010年現在は258号線で分かれているが、昔は大池で分かれていた。今は大池は存在しない。年中行事は東西が一緒に行うものも、別々のものもある。
西瑞穂は昔は14戸だったが、今は30数軒になった。
新しく来た住民には、強制ではないが消防に入ってもらうことを勧めている。他にも自治会費用、神社経費、水路掃除や草刈その他の各行事への参加などを説明して納得してもらっている。
区長が1人、評議員が4人、組長と呼ばれる世話方が各部落2人いる。基本的には月々の会合で話し合いをしている。町民運動会は瑞穂の西と東それぞれで係を出す。運動会には小学校と連携して住民全員参加としている。
A家は、もとは山手の方に住んでいたが、農業がやりにくいので降りてきた。
下池のあたりの昔は牛も行かないような大変な土地だったので小さい舟から大きな舟に乗り継いで物を輸送した。
田へ行くにも舟を使ったが、牛は川を泳がせ、大きな池を渡る時だけ牛舟にのせた。各家の裏側には船着場があったが、昭和34年の伊勢湾台風を境に大きく変わった。
瑞穂から大代へ行くには、瑞穂の秋葉神社の東側を南北にはしっている道を使った。
大きな石を見つけると貴重だったのでモッコでかついで自分の家へ持って帰った。桑名、大垣、名古屋どこへ行くにもまず駒野駅まで歩いた。生活用品の買い物は今尾まで行っていた。
瑞穂東の人は田んぼに行くのに舟を使っていた。1家で2艘持っていて、桑畑にも舟で行っていた人もいる。
A氏宅では現在は舟は無いが、艪(ろ)のみ保管している。
モッコ=縄で編んだハンモックの様な形状の物で、土や砂利を運ぶのに使用された。
表示位置は大池のあった場所を示している。