大場のA氏の家は、3~4代前まで魚の卸しをしていた。小作に金を貸した台帳や明治33年の木曽三川分流改修工事の竣工式の寄付を募った文書や魚屋丸七時代の金銭出入金などの資料がある。3~4代前は滋賀県の方へも魚を卸しており、かなり大きな取引をしていたらしい。それによって財を成し、全盛期には農地を27町ほど持っていた。
A氏の家の裏には池があり、大きなドッペと呼ばれる、獲った魚を活かしておくための生簀(いけす)として使われたザル状の民具がごろごろしていた。家の門は、平田靫負が切腹した大巻の庄屋、鬼頭兵内の屋敷の役館の門だと聞いている。
大場では農地解放で没落してしまった人もいるが、大地主ではなく教師等をやっていた家は続いている。
大場の八幡神社所有の土地は5町5反ほどある。1500年代の岡田左馬助(おかだ さまのすけ)のお墓が八幡神社の近くにあり、その辺りに大葉城もあったのではないかと推測しているが、正確な場所は不明である。大場には一人だけ岡田家の家来が残り、岡田姓が残っている。
表示位置は岡田左馬助の墓であると思われる場所を示している。