鬼頭家の子孫が医者をしていたが、子どもに恵まれなかったことから、屋敷の維持管理が難しくなった。小出氏の先祖が多額の借金をして購入したが、それでも一度に購入することは難しいため、分筆をしてもらいながら購入した。
小出氏の父親は鬼頭家の墓所にも注目を集めたいと思い、墓所まで行く道の整備を試みたが上手くいかず、2010年現在も舗装もされていないあぜ道を歩いていく必要がある。
鹿児島の関ヶ原踏破隊は毎年天照寺にも訪れる。昭和40年代頃は別の所であらかじめ用意していた食事を、小出千春氏の屋敷内で取っていた。
大巻薩摩役館跡の世話をしている小出家には宝暦治水の頃から残るものとして勝手口の井戸と屋敷の高さが挙げられる。井戸は現在でも水が湧いていて、深さ約7m、水位は約2mある。内部の壁面には背板といわれる木の板が打ち込んであり、そこから水が染み湧き出てきている。
薩摩義士の使っていた井戸が小出氏宅にある。
鬼頭家代々のお墓有り。(大巻区字八の割)
表示位置は小出家を示している。