その他

天保年間(1830~1844)に滝谷が崩壊した為、谷の水源が汚濁して苦労した。
この滝谷の土砂崩れでは、喫茶店ジン(現在は閉店している。養老公園1274、養老亭の辺り)の近くが崩壊した。2010年現在も土砂止めが残っている。また、その辺りに梁川星巌の碑が埋も
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桜井の集落の山側に古墳群がある。昭和初期に発掘を行っており、様々な古墳から直刀が合わせて20本ほど出土したと伝えられているが、戦時中に供出されるなどして所在が全く分からなくなり、現在は一本も残っていない。縦穴の古墳では埋葬者と壷や剣などの副葬品も発見されており
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若宮では、昭和の中頃までは大竹の節を抜いてパイプを作り、若宮の八幡神社の辺りから水を引いていた。水が涸れたことは一度も無い。同じ水路を周囲の4~5軒が利用していた。また、八幡神社の近くの大きな池を溜池にして、防火用水として使っていた。昔は子供がそこで泳いでいた
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一色で火葬がはじまったのは終戦後、養老町の斎場ができてからである。それまでは胴藁で友焼きをしていた。一色の辺りの土には岩が混じりあまり棺が大きいと棺を埋める穴を掘るのが大変だった。穴の深さは50~60cmと、できるだけ浅くしていた。
一色村の庄屋はずっと襲名
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小倉山の峰の一つに、鷲巣(わしのす)の飛び地で、薬師山と呼ばれる場所がある。昔薬師山には小倉山光明寺というお寺が建てられていた。養老郡志(p.562)によれば、文禄元年(1592)に薬師山の光明寺から薬師如来を持ち出し、鷲巣村に堂宇を建てて安置した。この薬師如
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