一色で火葬がはじまったのは終戦後、養老町の斎場ができてからである。それまでは胴藁で友焼きをしていた。一色の辺りの土には岩が混じりあまり棺が大きいと棺を埋める穴を掘るのが大変だった。穴の深さは50~60cmと、できるだけ浅くしていた。
一色村の庄屋はずっと襲名制だった。土地は多い時には土地を7~8反持っていた。地主は3名いた。
昔は津屋一色という言い方をしたが、これは津屋と一色の関係の深さを示していた。現在一色は養老町、津屋は海津市である。
下池は岐阜県1位の広さを誇る池だった。

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慶應元年、横屋村庄屋天野藤右衛門(郡志p.943) 表示位置は一色の墓地を示している。