タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

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その他

下笠の野休み

下笠では4月に田んぼ休み(野休み。「のやすみ」または「のうやすみ」)が1日あった。野休みに田んぼへ行くと、罰金を取られた。罰金を出さないと、村八分にされた。火事、葬式以外村八分にされてしまうので、皆従った。やがて戦争が始まり男手が無くなると、野休みなど村共通の [...]

笠郷の農繁期

昭和10年代、農繁期にご祖父母が自宅で託児所を開いていた。農繁期になると学校は休みであったが、小さな子どもを田畑へ連れていくことはできないので、家で子守がいない人は、藁で作った丸い桶に子どもをいれておいて、田植えに出かけていた。そのため、農繁期には水の事故で亡 [...]

笠郷公民館

笠郷公民館は、昔は木造の二階建てだった。 笠郷では毎年8月16日に盆踊りが地域の活性化と絆を深める行事として行われており、婦人会が笠郷公民館の二階で盆踊りの練習をしていた。婦人会は、愛国婦人会の後身である。

占領政策の影響

アメリカの占領政策で、教育に関しては、教育勅語の廃止、個性尊重、公よりも私、個人の尊厳、個人の自由など、戦前と大きく変わった。最初にGHQから、教壇をはずして生徒と同じ高さに立つように言われた。 バージニア、カリフォルニアから教えられたアメリカの政策は、分団 [...]

戦中の教育(笠郷)

笠郷地区は西濃の中でも文教地区であった。 学校の応援歌は作者不明であるが、校歌は先生が作ったのではないかと思う。昭和13(1938)年まで各学校で作られた歌が歌われた。翌年からは国民総動員法が出来た為、愛国行進曲(「見よ東海の空あけて」)に切り替わり、各学校 [...]