下笠では4月に田んぼ休み(野休み。「のやすみ」または「のうやすみ」)が1日あった。野休みに田んぼへ行くと、罰金を取られた。罰金を出さないと、村八分にされた。火事、葬式以外村八分にされてしまうので、皆従った。やがて戦争が始まり男手が無くなると、野休みなど村共通の休みの日でも、午前中は畑へ行っても良いことになった。
野休みのときは、集会を開いて肉飯のような御馳走を出し、情報交換やお互いの相談などをした。馬肉は貴重品だったので、御馳走だった。
野休みは、骨休みであり、集会を開く日でもあった。集会には、1軒に1人は参加した。
昔は現金が貴重であったので、本来は禁止されていたが野休みの時に日銭を稼ぎに行く人もいた。

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野休み期間中に田に行かないという暗黙の了解は下笠以外の地域にもあったが、罰金を課すほど厳しくしていた所は少ない。休み期間中に単独で田に行く行為が、水泥棒や稲わら泥棒など、あらぬ疑いをかけられる元となることを避けるためであったかと思われる。 野休みといえば通常は田植え後の6月頃であるが、この聞き取りでは4月と言われている。本格的な農作業に入る前の一休みか。表示位置は下笠の田んぼを示している。