西小倉開拓の沿革と殉難者の慰霊碑が西小倉集会所の広場に建立されている。「徳命之拓心霊碑」と刻され、自然石の台座の上に横約2m、縦約1mの黒御影石で、揮毫は当時の養老町長津田洯氏による。昭和50年(1975)8月15日に建立された。
太平洋戦争中「満州国北安省徳都県花園屯徳命開拓団」として国策遂行のため献身的に奉公していた人々が、北満州の異国で終戦を迎えたが、多くの殉難者を出した。日本国内への帰還が許され、昭和21年(1946)8月10日に母国日本へ引き揚げ、この地に開拓移民として同22年4月この地に入植し、鍬を振った。最初は、20世帯ほどが一棟の家の中に集団生活を送り、電灯はなくランプで暮らすという非常な悪環境の中で松林の開墾に従事した。酸性土壌のため作物の生育は極めて悪く、苦しい生活が続いたが、開拓者精神に裏付けされた涙ぐましい努力の結果、野菜・果樹・牧草の生育も順調となり、乳牛130頭を飼育している人もあった。現在は、立派な家屋が建ちならび、多年の労苦は報いられた。
戦後30年を記念して殉難者を慰霊して、これら先人達の業績を永く後世に伝える為に慰霊碑を建立したとされる。