食事

高田地区字押越在住のA氏が子どもの時、昭和20年代から昭和30年代の頃は朝の登校前に一遊びして、それから10人くらいまとまって登校していた。幼稚園位から、高等小学校の子に付いて歩き、大きい子の遊びを覚えた。
よく押越の子どもが固まって一緒にいたので、他地域の
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昔は、何かといえば芸者を呼んだ。青年団や消防団などで酒を飲む時はもちろん、法事の時でも芸者を呼んだことがある。
高田に住んでいたA氏(2012年現在77歳)のお父様は、青年団とは関係なく、毎晩高田地区字北浦の置屋へ遊びに行っていた。芸者買いをするお金はなかっ
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口ヶ島に住むA氏によれば、戦時中の小学校の教育は、中学校へ進学する子が優先であったので、差別のようなものを感じていた。
厳しい教育で、雪が降った時に広幡(ひろはた)尋常高等小学校から養老公園の、かつて競馬場があった場所(字八千代あたり)まで裸足で走らされたこ
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昭和年代初めの頃、飯田に青年団があった。青年団の集まりでは、夜によく酒を飲んだ。飲みすぎて怒られたこともある。社務所やお寺、小学校などで集まった。食べ物は、馬肉のひきずり(すき焼き)ばかり食べた。食べたことがない町の人は「馬肉?」と意外そうに言うがおいしいもの
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養老町上方(うわがた)に白鳥神社(上方)の神宿制(かみやどせい)という独特の儀礼が今も残っている。
上方だけにその起源が中世にまで遡る古い儀礼が残ったのは、上方の住民の中に何事も熱心に辛抱強く続ける気風と、長く続いた習慣を変えることが苦手な性質が土壌にあった
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