食事

昭和30年代から昭和40年代(1955~1974)は養老町の花柳界が大変賑やかな時代であった。
当時は、県事務所や保健事務所、警察関係、町村会、消防、農協等の官庁のお客様だけでも花柳界の仕事は充分にまわり、民間のお客様はあまりいらないと感じる程だった。
ラ
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養老町下笠の三ツ屋は街道沿いにある。京都の東本願寺の一如上人が名古屋別院を建てられるために名古屋に向かわれた際、三ツ屋を通りかかる頃に御病気にかかられたため村で介抱申し上げた。その時お世話をしたのが浄誓寺(下笠763)の門徒19戸の村人である。後に浄誓寺を通じ
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養老公園の老舗料理旅館掬水(きくすい、養老町養老公園1286-1)は明治23年(1890)に創業した。創業者は養老町中の高木賢次郎(たかぎけんじろう)氏である。
その後、息子の代になって、名古屋紡績が旅館を購入した。名古屋紡績の本社の人が支配人として時々旅館
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昔は毎年7月15日の農休みに各戸から戸主が集まり、地主の屋敷でムシロをひいて酒と御馳走を食べた。当時は上下の身分が厳しく地主が権威的であったので、地主の命令で村中が出席しなければならなかった。
小作が地主の家に行く時は着物を着換えて、入口に入ると立ったままで
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養老町高田の大黒屋さんと清水さんの間の駐車場に、藤川楼(ふじかわろう)という料理屋さんがあった。
豆馬亭(とうまてい、養老公園1282)さんのご主人、村上雄三氏が経営していたが、やがて店はたたんでしまった。
村上雄三氏の奥さんが藤川楼の女将であったかどうか
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