タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

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先人

小野文五郎

小野文五郎氏は養老町下笠に生まれ、長年にわたって郷土の発展のために尽力した人物である。地主で下笠の土地を半分ぐらいは所持していた。 笠郷地区の3つ小学校を統合するため、小野文五郎氏とA氏のご祖父が相談をして土地を確保した。 大部分の土地は船附の谷省吾氏が提 [...]

鷲巣の生活と住民

昭和10年代、焚物は藁を燃やしていた。または芝を刈って、燃料にしていた。芝を刈るために土地を借りていたり、山がある人は、自分の山で芝を刈った。 A氏が持っている鬼面山谷五郎の資料では、文久元年(1861)、鬼面山が関脇の頃に帰って来ている。その時、鷲巣(わし [...]

小野佐太郎

小野佐太郎氏(文久3(1863)年生まれ、町史に記載あり)は下笠立身小学校の教員で、笠郷村収入役も務めていた。小野佐太郎氏が退職した大正6(1917)年に、村長の谷金吾氏からもらった退職時の感謝状らしき額がある。なお、谷金吾氏は船附村の庄屋であった。下笠には名 [...]

笠郷の教育

笠郷地区は昔から全体的に教育レベルが高い。その理由は、庄屋渋谷代衛(しぶやだいえい)氏が明治以降教育の高レベルを保つ基礎を作ったからである。また、他の村(下笠、大野、船附、栗笠、上之郷)との競争があったということも理由としてあげられる。 下笠には、立身第二小 [...]

養老初の乗合自動車

大正3年(1914)3月、養老の駅と養老公園の間を走る乗合自動車の会社ができた。社名は養老自動車株式会社で、社長は山田貞策(やまだていさく)である。養老自動車株式会社は大正12年(1923)に廃業した。