小野文五郎氏は養老町下笠に生まれ、長年にわたって郷土の発展のために尽力した人物である。地主で下笠の土地を半分ぐらいは所持していた。
笠郷地区の3つ小学校を統合するため、小野文五郎氏とA氏のご祖父が相談をして土地を確保した。
大部分の土地は船附の谷省吾氏が提供された。小野文五郎氏に説得されたのであろう。それぐらい権力があった。村の収入役に谷省吾氏の自宅の風呂を焚きに行くよう指示できた。
伊藤家の土地も下笠に一番近い所を提供して今の小学校は建っている。
小野文五郎氏の文書はよく残っている。それらによれば相当な遣り手だったようだ。
三ツ屋は低地だったので水がついて米が穫れなかった。小野文吾郎氏とA氏のご祖父で排水機と排水のための五三水路を作った。
表示位置は笠郷小学校を示している。