先人

前田慶次郎が慶長10年(1605)頃、一時期祖父江に住んでいたという伝承がある。関ヶ原合戦後家康の残党狩りを逃れて慶次郎が上杉家に仕えるため関東に行く途中、島左近の娘であるみつとの子、吉兵衛を祖父江の庄屋川瀬彦兵衛に預けた。川瀬彦兵衛は島左近の領地、近江の川瀬
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祐泉寺の開基は大永4年(1524)である。
祐泉寺では、正徳4年(1714)以降の過去帳が保管されている。帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)の脇掛があるが、蓮如上人の字体に似ており、表装されているため裏書が分からないがかなり古いもの
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色目川の水利権は大坪より上流も大坪が全て所有していた。室原は山田用水を利用していた。江戸時代以降、色目川の圦(いり)の入り口、大坪地区字田中に水車小屋があり、村人はそこで米を搗(つ)いていた。
大坪の色目川の堤防の桜は、大橋武夫氏の父(治一(じいち)氏)が植
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北蛇持の了覚寺は長録元年(1457年)に建立された。初代の住職は専光坊という名で、蓮如上人のお供をして歩いていた。開基から浄土真宗のお寺として開かれ、山号は天保年間(1830‐1843)になってから付けられた。慶応年間(1865~1868)に本堂を再建した。
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川魚専門店の魚新は大正7年、江月で先々代が、近所の人が持ってくる魚をさばいて食べさせたのが始まりである。三神の人から魚を仕入れて、大垣・養老へ自転車で売りに行った。
魚新の佐竹家が所有する田が一町五反くらいあった。人が田へ行くためと牛用に、二艘の船があった。
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