先人

牧田川を改修する前は、毎年水害にあっていた。金屋・直江対飯積で水をめぐって争いがあった。飯積は土地が低く、飯積の水を直江より先に落とす為に定杭を立てたのではないか。
古代は津屋川に牧田川が流れていた。牧田川は伏流水の為、年の半分は水が流れていなかった。
飯
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飯積山光敬寺(いいづみさん こうきょうじ)といい、村の名前が山号に付いている寺は珍しいといわれるが、寺の由緒は不明である。
光敬寺の総代はほぼ各家で継承している。年行司は東組と西組で交代制としている。昔は御代本(おだいほん)を寺から各家に迎え、家で葬儀を行っ
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土屋輝雄(つちや てるお)氏は養老町高田の画家である。母代りのおばが写真屋を営んでおり、様々な画家が訪れていたのでそれが土屋輝雄氏の糧になったのではないかと思う。
土屋輝雄氏は、体のハンディキャップを乗り越えて、青龍社(せいりゅうしゃ)の川端龍子(かわばた
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日比野鶴翁(ひびのかくおう)については高田の共同墓地内に日比野家の墓があり、そこに鶴翁を紹介する石碑が建っている。
日比野鶴翁の作品は、岐阜県美術館に収蔵されている。

尾張竹ヶ鼻代官石河(いしこ)氏の配下で佐藤正太郎氏が飯田村の庄屋を務めていた。
佐藤正太郎氏が小畑村の村長を務めた時期もある。佐藤家の本家は長野県松本にある。