直江に2反(約1,983 ㎡)ほどの縄の内という地名があり、島田地区の飛地である。
江戸時代には直江の人々が水がつくのを避けて南から北に移り始めていた。杉野家では元々土地が高く整備されていたため移住はせず、南直江には地主4軒のみが残った。村はもとは全部南直江にあったが、水害の為に牧田川の北岸に移る人が多く、南を本郷、北を新屋敷といった。
春日神社は北直江に遷座されたが地主の杉野家は南直江に残った。
なぜ直江だけが、幕領から外れて大垣藩預所になったかの経緯は直江文書に記載されていると思うとのこと。
中世には寺社と鋳物師や鍛冶師が集まった工業都市であった直江・金屋は住みやすい場所であったと考えられている。牧田川も慶安3年(1650)の大水で牧田川が村を東西に横切って流れこむまでは直江の南側を流れていた。2010年現在は東川原や枯木(かれき)といった地域が全て牧田川の中になってる。
直江は、中組・本郷組・西組に分かれる。いつ頃から別れたのかは不明である。
早崎誠氏宅(直江469)の門は昭和22年(1947)に石畑の山幡氏から譲り受けたものである。
直江の土蔵は堤防と同じ高さに石を積んである。

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表示位置は杉野家を示している。