飯積山光敬寺(いいづみさん こうきょうじ)といい、村の名前が山号に付いている寺は珍しいといわれるが、寺の由緒は不明である。
光敬寺の総代はほぼ各家で継承している。年行司は東組と西組で交代制としている。昔は御代本(おだいほん)を寺から各家に迎え、家で葬儀を行ったが、現在は清華園や光敬寺で行うのでほとんど行われない。半門徒は3軒のみである。
光敬寺は元天台宗だったが教如(1558‐1614)の頃に浄土真宗に改宗した。
文久年間頃(1861年~1863年)からの言い伝えとして、蛇頭骨伝説が寺に残っている。蛇頭骨伝説とは、親鸞と弟子が川に身投げをした挙句大蛇に変身してしまった女人を弔った所、大蛇が天女に変わって空にのぼっていった、というものである。その大蛇の頭骨といわれる骨が宝物として光敬寺に伝わっている。
光敬寺の紋は菊であるが、天皇家と同じでは畏れ多いという配慮から菊の端に葉をつけている。
表示位置は光敬寺を示している。