押越の子どもの遊び
A氏が子供の頃の昭和20年代から30年代は、竹細工の竹トンボも、竹を火で炙って自分で作った。小さい子は、一本足の竹トンボを作った。一本足の竹トンボは、足と羽根がくっついているもので、足がついたまま飛ばした。上級生になると羽と足を分けて作って、羽だけ飛ばした。他 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
生き物
A氏が子供の頃の昭和20年代から30年代は、竹細工の竹トンボも、竹を火で炙って自分で作った。小さい子は、一本足の竹トンボを作った。一本足の竹トンボは、足と羽根がくっついているもので、足がついたまま飛ばした。上級生になると羽と足を分けて作って、羽だけ飛ばした。他 [...]
広幡地区の燈明は、2012年現在、口ヶ島の字寺田地内、口ヶ島の元庄屋・田中耕馬氏の新屋前にある。明治初期に今の位置に燈明が移転されたそうである。田中耕馬氏が移転させたという話があるが、実際は耕馬氏のご祖母が行ったそうである。 燈明は、現在地域の人からは「大神 [...]
大跡の東から飯ノ木(はんのき)を通り、養老温泉ゆせんの里(押越1522-1)の辺りにかけて、あほ除(よげ)といわれる堤防があった。あほ除と呼ばれた説は諸説あるが、価値の無い、役に立たないものだったから、そう呼び名がついたとA氏は考えている。飯ノ木、口ヶ島、大跡 [...]
昭和40年代初めの頃(1960年代中頃)、小学校の時に小畑川の天然の蛍を見た。空中防除や田圃の農薬を使うようになってから蛍がいなくなった。平成の初め頃、滋賀県の守山の別種の蛍を放すようになってから、川の傍の家まで蛍が飛んできたが、定着しなかった。 小畑川から [...]