タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

災害 | タギゾウくんの養老ノート | Page 7
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災害

戦中の教育(笠郷)

笠郷地区は西濃の中でも文教地区であった。 学校の応援歌は作者不明であるが、校歌は先生が作ったのではないかと思う。昭和13(1938)年まで各学校で作られた歌が歌われた。翌年からは国民総動員法が出来た為、愛国行進曲(「見よ東海の空あけて」)に切り替わり、各学校 [...]

千歳楼のお客様

千歳楼(せんざいろう、養老町養老1079)は、養老公園内に建つ老舗旅館の一つである。その始まりは江戸時代後期にまで遡るともいわれ、時代と共に様々なお客様を受け入れてきた。 江戸時代の歌人で国学者の橘曙覧(たちばなのあけみ、現福井県福井市つくも出身)も千歳楼へ [...]

飯田の土地と住民

飯田の相順寺に飯田在住の門徒が少ないことなどから、飯田は地域としてひと纏まりになっていないように思える。 歯医者さんや油屋さんなど、飯田から出て行く人も多くいた。最近、上石津から移ってきた人もいる。 飯田は比較的高い場所にあるので、水がつくことはない。祖父 [...]

養老鉄道の横転事故

大正4年(1915)に養老鉄道の横転事故が古市石油(石畑1494-1)の北で起こった。冬の強い伊吹おろしと急カーブにより、木製の車両を2両牽引した蒸気機関車が線路の東側へ横転した。現在でもその地点を掘ると石炭のかすが見つかる。

長島一揆に連れて行かれたお地蔵

養老町の石畑の飛地であった鷲巣白山神社の西、通称二軒在家(字石畑)にはお地蔵さんがあった。教如上人(きょうにょしょうにん)の命を受けた、上石津町の唯願寺(ゆいがんじ)のご住職と門徒らが長島一揆に参戦する時に、このお地蔵さんを戦地へ運び、鎧を掛けて人のように見せ [...]