千歳楼(せんざいろう、養老町養老1079)は、養老公園内に建つ老舗旅館の一つである。その始まりは江戸時代後期にまで遡るともいわれ、時代と共に様々なお客様を受け入れてきた。
江戸時代の歌人で国学者の橘曙覧(たちばなのあけみ、現福井県福井市つくも出身)も千歳楼へ逗留していた記録があるらしく、福井から学芸員の方が調べにみえた。
木曽三川治水工事に多大な貢献をされた内務省技術官、ヨハネスデレーケも千歳楼を訪れていた。
また、養老公園には伊藤博文が何回か来ている。
日本画家の菅楯彦(すが たてひこ)氏も千歳楼に来られたことがある。
大垣レーヨンの起工式やイビデン創業の最初の総会は千歳楼で行われ、大垣や高田の芸子さんが大勢呼ばれた。その際はイビデンの初代社長であった立川勇次郎氏も千歳楼に来られていた。
日本画家の竹内栖鳳(たけうち せいほう)氏と吉岡氏のご祖父は一緒に浄瑠璃をしている絵もあるほど、懇意にしていた。
戦中は陸軍大将などが千歳楼に泊まられた。
1955年頃にアメリカの州知事をお迎えしたこともある。その時は事前に岐阜県庁からの指示で州知事がお泊りになる部屋に4.5畳ほどの浴槽、洗面所、シャワーを増築した。
水上勉氏や谷崎潤一郎氏も千歳楼に来られた。
昭和30年後半(1960頃)には常磐(ときわ)会などでも千歳楼を使っていただいた。
皇室の方々では、大正天皇が皇太子殿下の頃に一度、有栖川宮が一度、行啓されている。大正天皇みずからが植えられたと伝えられるお手植えの松が庭にあるが、初代は落雷により焼けてしまい、現在の松は2代目である。
明治時代以前の物は戦争で燃えてしまったが、大正時代以降の宿泊者名簿が残っている。

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常盤会は、大垣市の経済界の重鎮が集う会であった。現在はない。表示位置は千歳楼を示している。