養老町の石畑の飛地であった鷲巣白山神社の西、通称二軒在家(字石畑)にはお地蔵さんがあった。教如上人(きょうにょしょうにん)の命を受けた、上石津町の唯願寺(ゆいがんじ)のご住職と門徒らが長島一揆に参戦する時に、このお地蔵さんを戦地へ運び、鎧を掛けて人のように見せかけて敵の目を欺いた。信長軍は、火縄銃で鎧を掛けたお地蔵さんを狙ったが、びくともしないため驚いて退散したといわれている。その後、そのお地蔵さんは鷲巣に戻された。お地蔵の法要等は浄誓寺から出向いて勤めていたが遠くて不便であったため浄誓寺に移動された。現在そのお地蔵さんは浄誓寺南の石仏群の地蔵堂の中心に祀られている。
鷲巣ではそのお地蔵さんのそばにサルスベリの木が植えられていた。大変立派な木だったのでお地蔵さんを移動させる際に、名古屋の庭師が譲ってほしいと言い、荷車にサルスベリの木を積んで帰途についたところ、その庭師は大怪我をして亡くなってしまった。因縁を恐れてしばらくは荷車ごとサルスベリの木が湊に放置されていたが、そのままでは枯れてしまうので、浄誓寺に移動されたお地蔵さんの側に植える事になった。やがてサルスベリの木に願い事をすると願いを叶えてもらえるという噂が立ち、夜中に釘を打って願(がん)をかける人がいたため木が弱り、伊勢湾台風の時にとうとう倒れてしまった。現在、地蔵堂の側に植えられているサルスベリの木はその後新たに植えられたものである。

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唯願寺は大垣市上石津町下山にある寺である。この寺の境内には伝説のあるシブナシカヤの老樹があり、岐阜県指定天然記念物である。また教如上人の御書を受け石山合戦に参加した歴史がある。表示位置は浄誓寺南の地蔵堂を示している。