災害

養老公園の老舗料理旅館掬水(きくすい、養老町養老公園1286-1)は明治23年(1890)に創業した。創業者は養老町中の高木賢次郎(たかぎけんじろう)氏である。
その後、息子の代になって、名古屋紡績が旅館を購入した。名古屋紡績の本社の人が支配人として時々旅館
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養老町の橋爪は昔から水に苦労していた。また、日吉地区の下流の地域は、特に排水に苦労していた。
象鼻山の南側の麓に、絶対に枯れない小さな泉があった。A氏が子どもの頃の昭和初期に旱魃がくると親に頼まれてやかんを持って水を汲みに行った。
川の水は上流でチフスや赤
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あほ除(よげ)は明暦2(1656)年に築かれた。
押越村(おしこしむら)から下笠村(しもがさむら)にかけては幕府領、尾張藩領、高須藩領などが入り組む土地であった。そのため、あほ除は尾張藩と高須藩の立ち合いのもと、口ヶ島(くちがしま)、西岩道、岩道、下笠、中島
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昔の井戸は鉄管ではなく竹管であった。口ヶ島の住人、A氏の家では、昭和20年代後半頃に井戸を掘った。樋門等で有名な日比鉄工(ひびてっこう)が開業間もない頃に井戸の中に鉄管を入れてくれた。その当時、A氏宅は古い2階建てであったが、棟の上まで水が噴き出した。作業して
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大跡の東から飯ノ木(はんのき)を通り、養老温泉ゆせんの里(押越1522-1)の辺りにかけて、あほ除(よげ)といわれる堤防があった。あほ除と呼ばれた説は諸説あるが、価値の無い、役に立たないものだったから、そう呼び名がついたとA氏は考えている。飯ノ木、口ヶ島、大跡
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