交通

瑞穂の西と東は、2010年現在は258号線で分かれているが、昔は大池で分かれていた。今は大池は存在しない。年中行事は東西が一緒に行うものも、別々のものもある。
西瑞穂は昔は14戸だったが、今は30数軒になった。
新しく来た住民には、強制ではないが消防に入っ
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直江の元庄屋である杉野家では明治以降に駕籠の使用を許可された。他にも4軒だけ駕籠の使用許可が下りた家がある。
南直江から五日市あたりまでの牧田川跡地は杉野家の土地であり、戦時中には飛行機の滑走路として使用されていた。杉野家の屋号は大柳(おおやなぎ)で、近所の
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現在の宇田の北、御霊神社を中心とした安久の辺りは、昔は金屋の金入(かないり)という地名だった。そこに鋳物の生産地があったが、関ヶ原の合戦の時には既に金屋の鋳物師たちは、この地にはいなかった。なお、名神高速工事の際に鉄滓が出たのはこの安久の付近である。
谷汲山
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昭和20年頃、米軍の飛行機から錫の紙吹雪のようなものが撒かれ、ラジオの電波を妨害した上で照明弾を落として焼夷弾を落としていた。
飯田の八幡神社に爆弾が落ちたことがある。
大垣にでるのが便利になり、持家が増えた昭和30年から40年代にかけて、田んぼを売って家
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2010年現在江月で耕作している土地は約50町歩である。
上江月は漁師か船頭をやっていた人が多く、上江月だけで漁師は5、6軒あった。明治中期頃には宿泊施設として船宿があった。川の真ん中に網棚と呼ばれる櫓(やぐら)を作って魚取りをしていた。昭和20年代には鰻の
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