正月の料理
昭和20年代から30年代にかけて、正月の食事はほとんど餅であった。家で作ったもち米で、餅を四升臼で20回位搗いた。四升臼1回を80個に切った。かき餅やあられも作った。親戚の家を順番に臼を持って回って餅つきを行った。 おせち料理もあったが立派なものではなく、餅 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
行事
昭和20年代から30年代にかけて、正月の食事はほとんど餅であった。家で作ったもち米で、餅を四升臼で20回位搗いた。四升臼1回を80個に切った。かき餅やあられも作った。親戚の家を順番に臼を持って回って餅つきを行った。 おせち料理もあったが立派なものではなく、餅 [...]
押越は、大きくは4つの地区に分かれているが、更にそれを2つずつの地区に分け、地域の行事はそれら8つの地区ごとに行っている。区全体をまとめるのは区長会の親方であった。 押越全体の行事は色々とあるが、その中でも大般若経を読む会は大きい行事である。大般若経を読む会 [...]
押越の生業は、ほとんどが農業であった。押越の北側にある新道町はサラリーマンが多かった。新道町は「町内(まちうち)」と呼んでいた。 養蚕は昭和30年(1955)位まで、長いこと行っていた。トラックに積んで、繭を恵那まで持って行った。石畑や明徳は桑畑ばかりであっ [...]
高田地区字押越在住のA氏が子どもの時、昭和20年代から昭和30年代の頃は朝の登校前に一遊びして、それから10人くらいまとまって登校していた。幼稚園位から、高等小学校の子に付いて歩き、大きい子の遊びを覚えた。 よく押越の子どもが固まって一緒にいたので、他地域の [...]