昭和20年代から30年代にかけて、正月の食事はほとんど餅であった。家で作ったもち米で、餅を四升臼で20回位搗いた。四升臼1回を80個に切った。かき餅やあられも作った。親戚の家を順番に臼を持って回って餅つきを行った。
おせち料理もあったが立派なものではなく、餅がメインであった。10歳までは自分の年の数を食べさせられた。小さいものを選んで、頑張って食べていた。
田舎なので、御馳走はなかった。すき焼きはたまにしたが、馬肉ではなく牛肉を食べた。
鏡餅は、当時は20飾り以上作っていた。現在でも、小さい鏡餅ばかりであるが、11飾りを作っている。四方八方の神様用、仏壇、神棚、荒神さん、水神さん、玄関などに飾った。鏡餅を飾るのは、自然、水、火などに対して一年使わせてくれてありがとうという感謝の気持ちの表れである。
大きい鏡餅も作った。鏡餅はカリカリになるので、8日の鏡開きは待たずに、正月から3日間もしたらすぐに食べていた。
鏡餅は神様だけでなく、仏教でも飾る。表示位置は八幡神社(押越)を示している。