タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

伝説 | タギゾウくんの養老ノート | Page 2
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伝説

養老公園の白山神社跡

豆馬亭(とうまてい、養老公園1282)から養老説教場へ向かう道の途中、北側に白山神社跡がある。白山神社跡地だけは、養老寺の地所である。神社跡には社はないが社の石積みが残っている。養老説教場への道が出来てから多少変わったと思うが、昔は松原(御林)のあたりまで養老 [...]

飯田の墓地と葬式

飯田の墓地は現在の位置より東にあったが、少し西に移した。元の場所は、字八之坪の道沿い、字門田(かどた)の三角池の隣であった。共同で使う場所は、村の西側にあることが多かった。新道(県道)ができてからは、全体的に村が東側に移っていったのではないだろうかと思う。 [...]

石畑の地名

養老町石畑にあった椿井(つばい)という地名は、日本各地に多く存在する。 石畑のあたりはかつて椿井郷(つばいごう)と呼ばれていた事が浄誓寺文書に残っている。 浄誓寺付近の字名は東門(とうもん)というが、大きな門があったためこの字名が付けられたのではないだろう [...]

養老孝子伝説の評価

養老孝子伝説の中の、水がお酒になる部分に関して、民俗学者の柳田國男(やなぎだくにお)は、霊水である岩清水で新酒を作ったことを表したものであると述べている。また、養老孝子伝説には元正天皇も登場するが、A氏は養老孝子伝説は元正天皇の御名から、源丞内(げんじょうない [...]

飯ノ木の伝承

飯ノ木(はんのき)の源氏橋の西側に昔あった、船繋石(ふなつなぎいし)という大きな岩は、昭和30年代後半の耕地整理の時に何処かに移動された。 A氏が子供の時に聞いた話では、鎧掛(よろいかけ)の榎は飯ノ木の西側、逆葦(さかさよし)は飯ノ木の集落の南にあった。