飯田の墓地は現在の位置より東にあったが、少し西に移した。元の場所は、字八之坪の道沿い、字門田(かどた)の三角池の隣であった。共同で使う場所は、村の西側にあることが多かった。新道(県道)ができてからは、全体的に村が東側に移っていったのではないだろうかと思う。
昭和30年代頃(1955~1964年)までは子供の土葬があった。昔は大人の土葬もあったそうだ。土葬では人体が腐るのに時間が掛かり、新しく埋める場所がなくなってしまうので、過去に埋めた場所を覚えている年配の人が次に掘る場所を指示した。それでも骨が出てきたことがある。
お棺の蓋が腐ると土が落ちるので、その分お棺の上に土を盛った。
昭和30年代の終わりくらいに、お墓の傍を通るとリンが燃えて、ヒトダマを見たことがあった。死んだ人の家からヒトダマが出たという話を他の人から聞いたこともある。ヒトダマは火をつけると消えるが、火をつけるまでは一生懸命ついてくると言われていた。そのためいつもマッチを持ち歩いた。
表示位置は飯田の墓地の元位置を示している。