魚新
川魚専門店の魚新は大正7年、江月で先々代が、近所の人が持ってくる魚をさばいて食べさせたのが始まりである。三神の人から魚を仕入れて、大垣・養老へ自転車で売りに行った。 魚新の佐竹家が所有する田が一町五反くらいあった。人が田へ行くためと牛用に、二艘の船があった。 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
その他
川魚専門店の魚新は大正7年、江月で先々代が、近所の人が持ってくる魚をさばいて食べさせたのが始まりである。三神の人から魚を仕入れて、大垣・養老へ自転車で売りに行った。 魚新の佐竹家が所有する田が一町五反くらいあった。人が田へ行くためと牛用に、二艘の船があった。 [...]
佐竹家(飯田143)は、多良の旗本高木三家の内、北高木家の建物を明治5年に移築したもので、式台(しきだい)様式の玄関、侵入者対策になっている母屋の釣天井に特色がある。 名古屋市立大学の助教授に調査してもらったら、間違いなく高木家のものだった。助教授によれば、 [...]
田の神明神社の総代は田を6班に分けた中からそれぞれ1名ずつ協議により選出され、さらに総代6名の互選により、2名の責任総代を決める。総代の任期は3年である。 田の神明神社のお祭りは年4回行われている。細かい日時については氏子総代が決めているが、年間の行事は3月 [...]
赤岩神社の創立は今から明治末期頃である。朝早くから山に入って行った天野庄市氏が大きな蛇を見たのが始まりで、大蛇が御神体であるといわれていた。 一方、鏡が御神体であるという意見もある。 赤岩神社には本社は無く、単立の神社である。また、赤岩神社の奥の院には明治 [...]
伊勢街道は、南小倉の墓地から小倉谷へ行き、近鉄のガード下から県道桑名線へ降りて船見の燈明辺りに抜ける。 北小倉では道標を見たことがない。 津島街道は岐阜県こどもの国の東北角を基点に養老駅の南を通って鷲巣に入り、小倉を経て有尾に至っている。津島街道を通って有 [...]