タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

笠郷 | タギゾウくんの養老ノート | Page 9
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笠郷

笠郷の水運

笠郷は、栗笠・烏江 ・船附の湊は、笠郷地域の文化の繁栄の元となっていた。 昭和10(1935)年前後は、笠郷小学校の2階から牧田川の帆掛船が見えた。梶のぎーぎーという音が学校まで聞こえた。当時は水量が豊富であった。 昭和10年代前半は烏江の鉄橋よりも堤防の [...]

笠郷の地主と小作人

A氏の家は地主であった。農地解放まで、地主の家では田植えをしなかった。終戦後の農地解放で土地をほとんど農民に開放した。農地解放後に残った三反の土地で田植えをしたことはある。小作人の生活はあまり分からないが、子どもの頃の友達の家は、地主の家とは違っていた。畳がな [...]

笠郷地区、和田の太鼓

笠郷地区和田の太鼓は水害で一度無くなってしまった。そのため小野文造氏の父、小野文五郎氏が、伊勢の諸戸(もろと)家に行って、太鼓を作るためのお金を得て新しく太鼓を作った。明治20年~明治30年当時、これほど大きな太鼓は他になかったそうである。なお、諸戸家は自分の [...]

笠郷の教育

笠郷地区は昔から全体的に教育レベルが高い。その理由は、庄屋渋谷代衛(しぶやだいえい)氏が明治以降教育の高レベルを保つ基礎を作ったからである。また、他の村(下笠、大野、船附、栗笠、上之郷)との競争があったということも理由としてあげられる。 下笠には、立身第二小 [...]

笠郷の学生

昭和20年代、笠郷の学校では一学級に53人いた。 大正時代から昭和20年(1912~1945)頃までは、親に進学したいと頼んでも、同級生の中には家の手伝いがあり、進学させてもらえなかった者もいた。卒業しても5、6年生の国語の本が読めない者もいた。 家の電気 [...]