タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

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養老

押越の墓地と葬式

押越の墓地の六地蔵

昭和20年代には押越で土葬をしていた記憶はない。押越には早くから火炉があり、威張っていた。 勢至では穴を掘り、長時間火が起きているように藁で遺体を包んで燃やしていた。A氏が勢至に遊びに行った時に、偶然火葬している所を見たことがある。 押越の墓地は、蔓草や木 [...]

押越の住民とお寺さん

正覚寺

高田地区押越在住のA氏の家は、鷲巣の専明寺の門徒である。専明寺は、元は勢至にあったそうである。一時は勢至が栄えていたので、A家も昔は勢至に居たのではないだろうかと思う。 押越には正覚寺(安久)の門徒も多いが、専明寺の門徒も何軒かある。 他には願林寺(垂井町 [...]

押越の生業

押越の風景(新道町)

押越の生業は、ほとんどが農業であった。押越の北側にある新道町はサラリーマンが多かった。新道町は「町内(まちうち)」と呼んでいた。 養蚕は昭和30年(1955)位まで、長いこと行っていた。トラックに積んで、繭を恵那まで持って行った。石畑や明徳は桑畑ばかりであっ [...]

押越連中

大池があった辺り

高田地区字押越在住のA氏が子どもの時、昭和20年代から昭和30年代の頃は朝の登校前に一遊びして、それから10人くらいまとまって登校していた。幼稚園位から、高等小学校の子に付いて歩き、大きい子の遊びを覚えた。 よく押越の子どもが固まって一緒にいたので、他地域の [...]

あほ除

大跡のあほ除

あほ除(よげ)は明暦2(1656)年に築かれた。 押越村(おしこしむら)から下笠村(しもがさむら)にかけては幕府領、尾張藩領、高須藩領などが入り組む土地であった。そのため、あほ除は尾張藩と高須藩の立ち合いのもと、口ヶ島(くちがしま)、西岩道、岩道、下笠、中島 [...]