押越の娯楽では、八幡神社(押越)の祭りの時に歌謡ショー(素人のカラオケ大会)を開催したり、青年団が芝居を行っていた記憶がある。押越は素人芝居が有名で、高田の町にも行っていた。八幡神社(押越)の前の舞台を借りて、歌謡ショーや芝居をしていた。万両会(まんりょうかい)をやっている時は、トラックを舞台に10人位でカラオケ大会をしたり、国定忠治などの芝居をした。押越の祭りは皆が楽しみにしていた。
終戦後、素人芝居は他の地域でもやっていて、よく観に行った。外から呼ぶのではなく、地元の人が芝居をしていた。大跡の六社神社にも芝居を見に行った記憶がある。
終戦後5、6年経った頃は、盆踊りが多く催された。高田の商店街は夏になると毎晩、高田の本通りで盆踊りをしていた。盆踊りもあちこち行っていた。A氏が青年団の頃で、盆踊りは女の子との出会いの場でもあった。お見合い以外に、このような場で結婚相手を見つける人もいたのではないだろうか。
終戦後の、中々映画館で映画が観れない時代は野外の映画大会があった。屋外に枠を組み、幕を張って、映画を上映していた。映画大会の情報はチラシ・ポスターが無くても口コミで噂が広がった。どのように運営されていたのかは不明だが、入場無料であった。押越は八幡神社で上映が行われた。
島田で、会場の後ろの方で自転車の荷台に乗って映画を観ていた人が、自転車が倒れた拍子に頭を打って亡くなったと聞いたことがある。会場がどこだったかは分からないが、島田の神社ではないだろうかと思う。
終戦後、今の高田中学校がある場所で相撲の興行があり、観に行った。屋根は適当に作ってあったような気がする。色黒の双葉山や色白で恰幅のいい照國が強い頃の事である。
今の高田中学校が出来る前のグランドで競輪をしていて、観に行ったことがある。車券は売っていなかった。高田に競輪選手がいた。
高田の町には、ビリヤード場があったが、当時のビリヤードは、やや不良の遊びという意識があった。一時ヒロポンがはやり、高田でもやっていた人がいたがどのように入手したかは不明である。そのような人たちがビリヤード場へ集まっていたため、ビリヤード場のイメージは悪く、映画館なども退廃的な雰囲気の場所であった。
白石の競馬場は、子供の頃に観に行ったことがある。草競馬だが、馬券売り場もあった。
煙草が配給の時に、A氏のお父様が「のぞみ」というタバコを自分で巻いて吸っていた。興味でトウモロコシの毛で煙草を作ったことがある。
麻雀は、何人かの人がやっていた。終戦後の話である。

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昭和10年代の頃、養老の競馬場は白石字中割地内に約3町歩ほどの野原で行われていた。 又その付近の野原では戦争中は射撃の訓練も行われていた。 万両会とは、昭和20年代に押越の青年団で行われていた素人芝居の会である。表示位置は相撲の興行があった高田中学校校庭を示している。