日比家文書
沢田の日比家には5000点に及ぶ古文書が残っており、日比達男氏が名古屋大学に寄贈した。その整理・研究の結果の一部は2006年度に名古屋大学付属図書館が行った秋季特別展「江戸時代の村と地域 -美濃養老・日比家文書にみる暮らしと災害- 」にて発表された。図録もPD [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
養老
沢田の日比家には5000点に及ぶ古文書が残っており、日比達男氏が名古屋大学に寄贈した。その整理・研究の結果の一部は2006年度に名古屋大学付属図書館が行った秋季特別展「江戸時代の村と地域 -美濃養老・日比家文書にみる暮らしと災害- 」にて発表された。図録もPD [...]
佐竹民弥(さたけ たみや)は、本名を佐竹義寄(よしより)という。文化6年(1809)、十六村(現大垣市十六町)に生まれた。民弥の生家は農業の傍ら鍬や鎌を作る鍛冶屋であった。民弥はよく家の手伝いをしていたが、ある時小刀を使って煙管に竜の彫り物をした。それを見た父 [...]
五日市の北に、川に挟まれて将棋の先のようになっている地域があり、かつては多芸村高畑将棋頭という地名であった。 昔五日市の辺りは水田はなく、大河原という地名だった。 五日市の名前の由来は、栗笠の船着場に来ていた海産物や、関ヶ原などからの収穫物を売りに、5日ご [...]
養老寺、妙見堂、養老神社、道場(養老説教場)の土地は昭和20年代に宗教法人として払い下げられているが、白山神社跡地はいまだに県の所有となっている。養老の白山神社は終戦後間もなくの頃まで養老説教場の西隣、字船岡にあった。2010年現在は神社跡の礎石が残っており、 [...]
桑名の一向一揆の時に上石津の人が応援を頼まれ、桑名に向かう道中に石畑のお地蔵を借りて行った。なぜ石畑の地蔵を持って行ったのかは不明である。