養老

明徳4年(1393)に足利義満(あしかがよしみつ)が養老観瀑に訪れた際、津屋川(つやがわ)を船で上り、明徳(みょうとく)の湊から上陸し養老の滝を訪れた。義満が上陸した最寄りの神社が養老町明徳の船着神社(ふなちゃくじんじゃ)であるといわれている。船着神社の由緒書
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養老孝子伝説の中の、水がお酒になる部分に関して、民俗学者の柳田國男(やなぎだくにお)は、霊水である岩清水で新酒を作ったことを表したものであると述べている。また、養老孝子伝説には元正天皇も登場するが、A氏は養老孝子伝説は元正天皇の御名から、源丞内(げんじょうない
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養老公園は、今と昔ではすっかり様子が変わった。
今子どもの国がある所は、江戸時代には御林(おんばやし)と呼ばれた松林であった。元は白石村が管理をしていた。
昭和の初め頃、白石村から大跡村と飯ノ木村が一時的に松林の入会権を取得し、松林を管理していた時期がある
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昔の養老公園の地図によると偕楽社は千歳楼(せんざいろう、養老1079)からかなり離れ、養老鉄道の貸地と書いてある場所に描かれている。ただし「偕」楽社ではなく、「階」楽社となっており、誤植なのか何らかの意味があるのかは不明である。
A氏の記憶では、偕楽社は養老
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養老公園の村上旅館が豆馬亭(とうまてい、養老公園1282)になる前から瓢遊亭(ひょうゆうてい)の建物はあった。村上旅館の建物は元は瓢遊亭の持ち物であったが、村上雄三氏が買い取ったという話を聞いたことがある。豆馬亭が瓢遊亭だったという話もあるが、はっきりした事は
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