小畑

祖父江輪中は34町の広さで日本でも最も小さい輪中である。性質、構造、景観、施設は江戸時代から変わっていない。また排水機を各輪中が所有している地域もこの牧田川以北のみである。江戸時代の統治の流れを組んでいる。段海村は多芸、不破、安八の三つの郡と接点があった。この
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牧田川の改修後は小畑川の水位が下がったため、飯積・江月・祖父江地区の農業従事者が用水確保のため、建設省に要請して飯積字小物成(こものなり)に小畑ダムを作った。小畑ダムで水位を80cm上げると、祖父江字小物成地区の田が水没したり、小畑川自体の水位が最大2m上がる
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小畑川両岸の堤防は、向野神社の鎮座する飯積輪中の堤防と、飯田の堤防の高さを比べると、飯積輪中の方が天領である為30cm(一尺)高くなっている。
飯積、金屋、直江の三箇村の悪水を杭瀬川に落水するための小畑川伏越樋管が農業高校(現大垣養老高校、祖父江向野1418
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祖父江、大坪、飯田でそれぞれ弥生時代の遺物が出ている。
このあたりはまた交通の要所でもあった。古代より濃尾平野の玄関口と位置づけられる。
1400年頃には美濃の中道として栄え、1700年頃には美濃三湊が発展した土地でもある。

祖父江の庄屋川瀬彦兵衛は牧田川沿いに堤防を作り、自分の土地と百姓を守るため祖父江の飛地として現大垣養老高校辺りの字向野を確保することに執着した。各輪中の庄屋も同様にここの土地を重視し、取り合いになった。
笠松代官所の文書によると川瀬彦兵衛は幕末の頃に堤防取締
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