祖父江輪中は34町の広さで日本でも最も小さい輪中である。性質、構造、景観、施設は江戸時代から変わっていない。また排水機を各輪中が所有している地域もこの牧田川以北のみである。江戸時代の統治の流れを組んでいる。段海村は多芸、不破、安八の三つの郡と接点があった。この郡境は古代から政争地域として重要な場所であった。段海村は明治7年(1874)祖父江村に合併された。
現大垣南自動車学校付近の祖父江輪中の断面から判断すると、輪中の内側には川の痕跡が見られない。輪中は川からかなり離して作られたものであろう。輪中の土盛りは3重になっていた。
祖父江輪中は牧田川から土を取った。また、現在の位置は元からほとんど動いていない。
祖父江輪中の守り神として、祖父江字前田地内に水神を祀っていた。
川瀬彦兵衛の墓は慶長15年(1610)に建立されている。
表示位置は祖父江輪中を示している。