タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

養老町全域 | タギゾウくんの養老ノート | Page 62
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養老町全域

明徳の生活水

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明徳簡易水道は昭和20年ごろに引かれ、明徳のみで使用されてきた。今も水道組合が残っている。日比建創(明徳289-5)の近くに水源がある。ほとんどすべての家で町営水道と合わせて上水道管が2本ある。下水道が完備されたのは高田に次いで町内2番目である。また、4mほど [...]

白石の生活水

白石では渡辺氏がうどん屋を開いており水車小屋を2軒持っていた。菊水の先祖である高木賢次郎氏が菊水での発電の為に水を引いた。その後山田貞策氏が白石の耕地整理でその水路を利用して、水田に水を引いていたが水漏れがあり、機能しなくなったのではないかと考えている。 こ [...]

唐谷(火打谷)

唐谷(からたに)と菊水泉の落ち水を千歳楼の別館の側に落とし、その近くに神戸文左衛門(かんべぶんざえもん)が別荘を建て、街道から公園事務所の水道を一番最初に整備した。 大正年間に養老鉄道や鍛冶屋が引いていた水道や、火打谷(唐谷)から公園事務所への水道は2010 [...]

白石村の石工

白石村には石工が何人かいた。ヨハネス・デレーケが設計したといわれる滝谷の堰堤も、白石村の石工が石積みを組んだといわれている。石工の石組頭は藤塚久治氏の先祖の藤塚臣右衛門(ふじつか しんえもん)氏が務めた。その中の最後の石工の藤田禊(ふじた みそぎ)氏が柏尾谷の [...]

薩摩義士の砂防工事

養老バーベキュー(養老1173-5)から柏尾谷へ向かう所にある砂防工事跡は、「養老町の古道p.52」によれば、薩摩義士によるものである。津屋川に土砂を流さないために、災害の時は津屋川と反対側に土砂を落とすようになっていた。