京ヶ脇には谷水と井戸のおかげで水を確保できるため人が住みついたのではないかと考えている。町道水が完備されるまでは、谷水で生活していた。谷からの水路を作ったり、竹に水を通したりしていたが、後に鉄管等で水を引いた。養老町が合併した後に、谷の上の方を水源とする谷水をタンクでろ過する簡易水道が設置された。現在も稼働し散水等に使用され、京ヶ脇が管理している。
A氏宅(京ヶ脇1417)の敷地内に井戸があり、その井戸で村の人々が水を賄っていた。平成15年頃から井戸が枯れ始めたが、直江谷が枯れた事が原因である。
玉泉堂が地ビールに着手しようと京ヶ脇の地下水の水質検査を行ったところ、鉄分の含有率が高く地ビールには向かないことが分かった。
終戦後、水のない時に京ヶ脇で伝染病が流行り、簡易水道の設置案が持ち上がった。昭和25~26年頃に谷水のろ過装置が設置された。
直江谷の水は京ヶ脇の地下を通っているが、京ヶ脇の住民が生活用水として使える程の水量はない。
京ヶ脇の住民は滝谷から浸透してくる水を使用していたのではないだろうか。
表示位置は京ヶ脇の嘘谷を示している。