養老町全域

笠郷尋常小学校の春季運動会では、1930年代半ば頃までは「国旗はコートに翻れ」などと、応援歌に洒落た言葉を使っていた。やがて1937年に閣議決定された国民精神総動員の方針に則って作詞作曲された愛国行進曲に統一された。以前は敬老会でも「国旗はコートに翻れ」を皆で
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アメリカの占領政策で、教育に関しては、教育勅語の廃止、個性尊重、公よりも私、個人の尊厳、個人の自由など、戦前と大きく変わった。最初にGHQから、教壇をはずして生徒と同じ高さに立つように言われた。
バージニア、カリフォルニアから教えられたアメリカの政策は、分団
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池辺と今尾の交流は、渡船が主であった江戸後半~昭和の初め頃はあまり盛んではなかった。昭和8、9年頃に揖斐川に今尾橋が開通してから今尾は、池辺の住民にとって、図書館へ行ったり、買い物をしたり、今尾中学校に通うなど、生活の中心になった。
今尾橋から、東側の子は今
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正式名称は「若連中」だが、単に「若い衆」 ともいった。高等小学校卒業後(17歳)~結婚するまでの独身男性の集まりで、祭典行事を行った。若い衆に入れば、村役では一人前になれた。当時は、23、4歳で結婚する人が多く、遅くとも25歳までには結婚した。

昔の養老公園の地図によると偕楽社は千歳楼(せんざいろう、養老1079)からかなり離れ、養老鉄道の貸地と書いてある場所に描かれている。ただし「偕」楽社ではなく、「階」楽社となっており、誤植なのか何らかの意味があるのかは不明である。
A氏の記憶では、偕楽社は養老
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