タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

養老町全域 | タギゾウくんの養老ノート | Page 45
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養老町全域

鷲巣の生活と住民

昭和10年代、焚物は藁を燃やしていた。または芝を刈って、燃料にしていた。芝を刈るために土地を借りていたり、山がある人は、自分の山で芝を刈った。 A氏が持っている鬼面山谷五郎の資料では、文久元年(1861)、鬼面山が関脇の頃に帰って来ている。その時、鷲巣(わし [...]

小野佐太郎

小野佐太郎氏(文久3(1863)年生まれ、町史に記載あり)は下笠立身小学校の教員で、笠郷村収入役も務めていた。小野佐太郎氏が退職した大正6(1917)年に、村長の谷金吾氏からもらった退職時の感謝状らしき額がある。なお、谷金吾氏は船附村の庄屋であった。下笠には名 [...]

和田の虫送り

和田では虫送りは行っていなかった。 和田では誘蛾灯があった。油を使って灯をつけ、害虫を集めた。小学校に入ると6年生くらいまで稲の害虫取りをした。苗場ができると、学校の午後の授業が終わってから、班長に連れられて虫取りに行った。稲の葉先の虫をとり、瓶の中に入れて [...]

和田の報恩講

和田では結婚したら報恩講の時は、姑が嫁を連れてお参りに行った。現在はそういった習慣はない。

戦中の食糧事情

戦中当時は子どもの弁当の差が歴然としていた。百姓の子は自分の家で作っているもので弁当を作って持ってきていたが、今尾は町なので、弁当を持ってこられなかった。家に帰っても、食べるものが無く、マツバシ(字下笠の地名)でお昼が終わるのを待っている子どももいた。こっそり [...]