タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

養老町全域 | タギゾウくんの養老ノート | Page 39
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養老町全域

大野と和田の生業

大野は養蚕を行っていたが、和田では行われていなかった。大野は、牧田川の河川敷で桑を作っていた。 和田の辺りでも、桑畑はたくさんあり、桑畑で現金収入を得る人が多かった。竹籠に桑の葉を摘んだ。 昭和10年代は、桑畑に入って桑の実を摘んで遊んでいた。食べると口の [...]

福井大地震

昭和20(1945)年12月に福井大地震が起こった時、A氏はちょうど学校から帰る所だった。立っていられなくて、皆堤防の中腹に倒れ込んでしまった。岩道の家に帰ると、下駄箱がひっくりかえり、色々な物が折れていた。折れた柱を戻して、ブリキで挟んで直した。地震の被害は [...]

学童疎開

今尾には名古屋の田代小学校(名古屋市千種区)から疎開児童が来ていて、笠郷小学校で一緒に勉強していた。縁故疎開ができない者は、行政機関が学校ごとでまとめて疎開させたからである。依頼を受けた今尾町は、宿舎を平田町須賀の浄円寺に頼んだ。女性の教師が引率していた。

戦中の様子(広幡地区)

戦時中は日本中で兵隊送りという、出征兵士を送る行事があった。兵士を先頭にして、軍楽(ぐんがく)隊(またはラッパコ隊)がいて、ラッパを吹き、日の丸を振って烏江の駅まで送り出した。 A氏が広幡小学校1年生の頃の昭和10年代後半、同級生と下校中に、知らない人が写真 [...]

烏江の女郎屋

烏江のあたりに女郎屋や飲み屋があった。2012年現在で80代前半くらいまでの岩道の人は遊びに行ったかもしれない。 岩道のあたりで、遊んで身上を潰した人は聞いたことがない。女郎屋といっても御殿女中のような構えではなく、田舎の小奇麗な家の中に、女性が2、3人いて [...]