戦時中は日本中で兵隊送りという、出征兵士を送る行事があった。兵士を先頭にして、軍楽(ぐんがく)隊(またはラッパコ隊)がいて、ラッパを吹き、日の丸を振って烏江の駅まで送り出した。
A氏が広幡小学校1年生の頃の昭和10年代後半、同級生と下校中に、知らない人が写真を撮ってくれた。当時、写真機は家庭になく、このように撮られることはまずなかったので、貴重な1枚だと思っている。
この頃は、巻絆(まきはん)を巻いて学校に通っていた。巻絆は、鉄砲の弾が当たっても怪我をしないように、布切れを足に巻きつけたものである。小学校1年生から巻絆を巻く練習をしていた。運動したり、動いてもずり落ちないように、布を斜めにしてきゅっと巻きつけた。また、学校に行く時には尖鍬(とんぐわ)や鎌を持って、午前中は授業を受け、毎日お昼から高林へ開墾作業に行った。
朝の登校は、岩道から広幡小学校へ並んで歩いて行くと、学校の100m手前から、「歩調を取れ」という号令がかかった。号令がかかると、足並みが乱れない様に右、左、右、左、と足をきちっと高く上げて、手を振って、学校へ入って行った。玄関先に上級生が立って見ていた。戦争中なので、空襲警報が発令されたら、堤防で伏せなければならなかった。
この頃、ほとんどの教師は国民服を着ていた。
出征兵士はまず家族と共に氏神に参り、そこで村人から激励を受けた。兵士は残された家族の事を村人に頼み、最寄りの駅まで軍楽隊を先頭に行進した。村人は手に手に日の丸を振りながら激励をした。子どもながらに悲壮な光景であった思い出がある。表示位置は広幡小学校を示している。