養老町全域

養老小学校を良くするために、衛生面では各階に手洗いをつけた。また、暗いと子どもの姿勢が悪くなるため、照明を配慮し、窓際と廊下側で明るさが変わらないようにした。
半田登喜代氏は、どこの学校へ行ってもトイレを見るので「便所会長」と呼ばれていた。養老小学校のトイレ
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養老町の養老公園内字高林では戦後、イチゴ園があり、イチゴ狩りができた。場所は現在の養老天命反転地の東側、公園事務所の辺り一帯や、孝子神社から伊勢街道までの間一帯である。
高林のイチゴ狩りは、一旦入場すると取り放題であった。アイスクリームの機械を持って行って、
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小畑・日吉にはすでに鼓笛隊があった。半田登喜代氏が養老小学校にも鼓笛隊を作ろうとしたが、先生方から手間が掛かるので絶対にダメだと反対された。4、50万円のセットを強引に置き、教育委員会に頼んで、鼓笛隊を指導していた別の学校の先生を寄こしてもらった。
子どもた
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高田では昔大火事があった。古い木造家屋が残っていないのも、火事が大きな原因であると思う。
また、水害もあった。昔から住んでいる人は、徐々に高低差の高い西へと移住してきている。見た目には大して変わりがないようだが、大水が出た時、玉泉堂の辺りまで水がついたが、高
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大正12年(1923)7月、田中義一氏を代表とする当時の高田青年団が『高田町史』という、高田出身の人物の歴史を書いた本を作った。
田中義一氏は精力的に色々な有志の会を開いていた。その位、高田にゆとりがあったのであろう。昭和の始めの頃にはもうそういった有志の会
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