高田では昔大火事があった。古い木造家屋が残っていないのも、火事が大きな原因であると思う。
また、水害もあった。昔から住んでいる人は、徐々に高低差の高い西へと移住してきている。見た目には大して変わりがないようだが、大水が出た時、玉泉堂の辺りまで水がついたが、高田西町あたりは大丈夫だったそうである。
昔の人は良く考えたもので、高田の表通りは側溝が南北にある。水は、専念寺の本堂の南側を東西に走る側溝へ落としている。

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玉泉堂まで水がついたのは、明治29年金草川堤防が決潰して押越に入水した時である。(「たか田」(190頁)より。表示位置は高田を南北に走る側溝を示している。