タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

養老町全域 | タギゾウくんの養老ノート | Page 25
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養老町全域

広幡地区の江浚え

江浚え(えざらえ)とは、水路掃除のことである。口ヶ島(くちがしま)の水路は用排水兼用であり、金草川(かなくさがわ)から水を引いている。 口ヶ島では、年に2回(4月第1日曜日、8月第3日曜日)村全体で江浚えを行っている。4月は、田植えを行う前に用水路から水を入 [...]

郁達夫

大正~昭和期に中国のエリート中のエリートが数多く国費留学で来日した。郁達夫(いく たっぷ)氏(1896年-1945年)は兄と共に来日した留学生の内の一人であった。郁達夫氏は旧制第八高等学校(八高、現在の名古屋大学)に、兄の郁曼陀(いく まんだ)氏は現在の岡山大 [...]

服部承風

服部承風(はっとり しょうふう)氏は、漢学の第一人者・服部担風(はっとり たんぷう)氏の孫で、本名を服部靖という。全日本漢詩連盟副会長、朝日カルチャーセンター講師を務められた。 承風氏は中学生の頃に、日曜日に冨長蝶如(ちょうにょ)氏の講義を聞きに来ていた。漢 [...]

服部担風

服部担風(はっとり たんぷう)先生は、生年慶応3(1867)年、没年昭和39(1964)年である。幼名を粂之丞(くめのじょう)といった。 冨長蝶如(とみなが ちょうにょ)氏の師であり、当時の日本における漢学の第一人者であった。愛知県弥富村で私塾を開き、漢学を [...]

冨長静丸

養老町室原出身の冨長静丸(とみなが しずまる)氏は、覚民(かくみん)氏の長男である。本名を覚静(かくせい)といった。静丸は号である。子に冨長蝶如(ちょうにょ)氏、孫に冨長覚梁(かくりょう)氏をもつ。漢学の勉強の為、明治22年頃に大分県日田(ひた)へ行き、咸宜園 [...]