養老町全域

色目川の水利権は大坪より上流も大坪が全て所有していた。室原は山田用水を利用していた。江戸時代以降、色目川の圦(いり)の入り口、大坪地区字田中に水車小屋があり、村人はそこで米を搗(つ)いていた。
大坪の色目川の堤防の桜は、大橋武夫氏の父(治一(じいち)氏)が植
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室原から大坪へ排水の迷惑料が入ってきていた。
日吉地区字豊の養老町水道の水源地に河間があり、その水が色目川に流入するため大坪は用水の確保には苦労しなかった。
蛇持の用水と大坪の排水の圦(いり)は同じ所にある。また、他にも圦は数箇所にあった。
大坪若宮神社
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北蛇持の了覚寺は長録元年(1457年)に建立された。初代の住職は専光坊という名で、蓮如上人のお供をして歩いていた。開基から浄土真宗のお寺として開かれ、山号は天保年間(1830‐1843)になってから付けられた。慶応年間(1865~1868)に本堂を再建した。
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飯田の高木一統は元、杉という姓だった。杉は上杉家の系統で、上杉家が敗れて「上」の字を外した。飯田の墓地の正面左側に杉家の墓がある。
飯田には、築城年代不明の城があった。
飯田の墓地の西側に湧水があった。一時期ライ魚が増え、鯰が減ったが、今は両方ともかなり少
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川魚専門店の魚新は大正7年、江月で先々代が、近所の人が持ってくる魚をさばいて食べさせたのが始まりである。三神の人から魚を仕入れて、大垣・養老へ自転車で売りに行った。
魚新の佐竹家が所有する田が一町五反くらいあった。人が田へ行くためと牛用に、二艘の船があった。
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